最近、連盟に提出した提案の一部を一般に公開できるかたちに修正して、以下、掲載する。
①一危険度が高いとは考えられないことが、みための印象だけで禁止にされている一方で、本当に危険なことが放置されているのではないか?
いわゆるギロチンチョークが禁止になったのは、なぜだろうか?
現役選手が「実際にこの技を喰らって怪我をした、あるいは危険を感じた」と主張するのであれば納得できる。また、実際に経験のしようのない選手外の人間の主張であろうと「事故事例のデータを集積していてそれを提示できる」「この技が他の技より危険だという医師の見解を提示できる」ならば理解できる。しかし、そのようなエビデンスがなく、ただ見た目の「首が痛そう」というイメージ・憶測だけで、禁止にしたのであれば、あるべきことではない。ギロチンチョークは、ロンドン五輪において、トラヴィス・スティーブンスが一本を奪っている通り、柔道においても認められている技である。私自身、MMAの試合、練習において、何度もこの技を極められているが、頸椎を損傷したことはない。また、20年に渡る格闘技記者生活を通して、この技が極まったシーンを数10~数100例みてきているが、極められた側の選手が頸部の負傷を訴えたケースなど、一度もない。頸椎に屈曲のストレスが掛かるというのなら、膝着きの背負投や、頭を下げて入る内股の方が、よほど爆発的な頸椎屈曲が起こる可能性があり、これらの技が禁止にならないのに、ギロチンチョークが禁止になるのは順序がおかしいのではないか。
頸椎に回旋のストレスを加えうるというのであれば、それはバックチョーク(一般的な背後からの裸絞め)でも同じことである。この点にかんして、念のため、プロMMA競技のリングドクターとして経験の深い整形外科医・綱川慎一郎氏に意見を求めたところ〝そのタイプの絞め技は、選手に元々の頸椎疾患がなければ問題ないと考えます。スタンドでのギロチンから相手を落とした場合のみ危険です〟との回答を得た。このドクターの見解からも、従来通り〝スタンドでギロチンに入り、相手を脳天からマットに着地させることは反則。グラウンド状態からギロチンに入るのは可〟が妥当かと思われる。
もし、ギロチンチョークが反則となるのであれば〝実際の闘い〟よりも、レスリング系の選手にとってかなり有利なスポーツとなってしまうことは確かである。ギロチンチョーク禁止の採決された会議の議事録に「完全に極めるのは禁止だが、タックルを防ぐためにギロチンチョーク状に首を巻くのはよしとすればいい」といった発言があったが、首を極められる恐れがあってこそ、タックラーはタックルできなくなるのであって、極められることがないと分かっていれば、抑止になるはずがない。
空道のルールに望まれるのは「実戦的なルール」であることと「安全なルール」であることである。もし「実戦的だが危険」な事象がある場合は安全を優先し、実戦性を下げてでも反則にするのが妥当である。しかし「他の事象と比べて、特に危険というわけでもない実戦的な攻防が、禁止になる」ことは、あるべきではない。
さらにいえば、現状の空道競技では、危険でない事象が見た目の印象→思い込みで、反則とされている一方で、本当は危険なことが、認識のなさゆえに許されたまま放置されているように思う。フィギュア・スケートですら脳のセカンド・インパクト・シンドローム問題が論議される現代、顔面・頭部への打撃攻撃が認められるアマチュア・ワンデー格闘競技大会において、初戦でノックアウト負けした選手にも、同日に次の試合の機会が与えられる対戦方式を採用していては〝安全管理ができていない競技・組織〟と判断されて当然だ。リーグ戦・五角形戦を行い続けていては、国際的に認められるスポーツ競技にはなりえないのではないか。リスクマネジメントがなされていることをスポーツアコード等にアピールできないのではないか。
※2015年10月17日追記:K-1などのリングドクターとしておなじみであった中山健児ドクターにもギロチンチョークの危険性について訊いてみたが〝とくに頸椎に危険が生じるわけではないと思われる。もちろん、まったく危険でないわけではないが「だったらハイキックも禁止にすべき」ということになる〟との見解であった。ちなみに、中山ドクターは柔道部出身で、綱川ドクターはMMAのプロ選手経験がある
②キメ突きのフォームが現実と乖離していないか?
マウントから、あるいはニーインベリーからの打撃によるキメはルール上「4発以上の連打」で効果となるが、この規定が、審判にも選手にも「連打のテンポが遅ければ効果を取らない」と解釈されていないか? 結果として、多くの選手が、現実的には威力がないとしか思えない、ショートレンジの高速のパンチ連打のジェスチャーを行う現象が生じている。現実には、大きく振りかぶったフック系パンチやヒジ打ち、足による踏みつけの方が、連打のテンポが遅かろうと、威力があるであろうにもかかわらず、それらの攻撃によるキメは、効果を取ってもらえないためか、めっきり見られなくなってしまった。空道を現実の闘いと乖離したものとしないためにも〝現実を考えたときに威力があると思われるキメには効果ポイントを与え、現実を考えたときに威力がないと思われるキメには効果ポイントを与えない。具体的には、小突くようなショートストレートパンチにかんしては、4発連打したからといって必ずしも効果ポイントは与えない。振りかぶって放つフックや、ヒジ打ち、踏みつけなど威力があると思われるフォームの疑似打撃には、連打の間隔が空いても、効果ポイントを与える〟といったポリシーを明文化し、ルールに添えることで、選手を威力をともなったキメを行う方向に導いてほしい。
③地区大会における青帯・黄色帯・緑帯のルールで「体力指数差が20以上の場合金的蹴りあり」を採用するのは、黄帯・青帯ルールの「技を基本的なものに限定することで試合参加しやすくする」目的から考えて、相応しくないのでは?(さらにいえば、以前述べたように、全日本予選~全日本~国際大会においても、金的攻撃ありのルールを撤廃すること自体を望むが)
④選手が、どう考えても危険な倒れ方をした場合、副審の旗が規定の時間を満たして一本を示す前に、主審判断により、一本を宣告し、ドクターを檀上に呼ぶなど、安全確保を優先すべきである。同様に、絞め技・関節技が極まった際に、重篤な負傷に至る状態であれば、選手のタップを待たずに一本を宣告すべきである。このあたりのことが定められていないなら、明文化して欲しい。
⑤選手がダウンした際、目をつぶらせて一本足で立たせたり、「大丈夫か」「まだやりますか?」「セコンドの方、まだやらせますか?」などと確認している間に、5秒~10秒と時間が経過し、セカンドインパクトシンドロームによる重大な事故を引き起こす要因となるダメージが、隠れてしまいかねない。「ダウン後、4秒の時点で、試合を続けさせてよいか決定出来ない場合は、即、試合終了とする」規定があるべきかと思う。
⑥ルール第6章11条では「故意・過失を問わず、投げて頭に、もしくは体重を預けて腹部や胸部にダメージを与えること」が反則とされているが、2014年の体力別全日本での野村幸汰vs菅原智範では、野村が払腰で巻き込んで菅原の身体に乗り、菅原の肋骨を折り、そのまま勝利しており、反則をコールする審判は誰もいなかった。ルールと現実が一致していないのではないか? 実際のところ、巻き込んで同体で相手と一緒に倒れ込む投げをすべて禁止としてしまっては、首投げなど、多くの投げ技が不可能となるし「同体で倒れても、相手に大きなダメージを与えなければ可」というような論理を持ち出すと、どこまでが合法で、どこからか反則なのか、共通の認識が持てない。目に見える現象として「このかたちまではOK、このかたちからはNG」と、映像やイラスト等で示されなければ、明確な基準が掴めない。
⑦「身体指数差30以上の場合、片方の選手が掴んだら、一切の打撃は禁止」ルールでは、-230やー240クラスの選手が野村幸太クラスの270+クラス柔道経験者に勝てる可能性は限りなく低い。片方の選手が掴んだら〝ほぼ柔道〟となってしまうこのルールは、もはや空道ではないルールだとしか、思えない。
⑧主審の仕事量に無理があるので、レスリング競技のように、本部席スタッフとの役割分担をするべきでは?
2015世界選手権270+クラス決勝で、野村幸汰選手が試合場から転落したが、そのとき、主審は、副審の挙げる旗の示す状態と数を確認している最中であった。転落を防ぐためのアクションをできるはずもない。主審の仕事量に、無理がありすぎるのだ。選手のそばに立つ者(現在の主審)は判定に加わらず、試合の進行役に徹するのが妥当である。判定はコート四方の審判(現在の副審)のみが行い、〝審判の旗の示す状態と数の集計→効果・有効・技有・一本の認定〟は本部席のスタッフが行い、掲示板にポイント表示すればよい。レスリングと同様の進行法である。
大会において審判やセコンドを務めるみなさんは「選手という〝華″の引立て役に徹することができてこそ本望」と思われている方々のはず。「オレが目立ってやろう」とか「オレの見せ場が他のヤツより少ないじゃないか」などと思う人間は、いないはずである。「私」を滅し、黒子に徹する精神を誓えることが、これらの役職に就く条件であり、役職を与える運営サイドが、審判やセコンドに対し「オマエらにも花をもたせてやる」といった感情を持ち込んでは、かえって奉公の精神を侮辱することになるのではないか。審判やセコンドへの配慮を、試合を円滑・公正に進行させることより優先させるようなことがあってはならない。主審が判定の最終決定権をもつのが、主審のステータスを表現するためであるならば、不必要なことかと考える。試合中、煩雑な進行管理作業をしながら、微細な優劣をも把握するのは難しいので、進行を司る者と審判は、別にするのが妥当だ。