ジャケットMMA≒柔道+空手 KARATE+JUDO≒KUDO 御茶ノ水(淡路町・小川町)にある総合格闘技道場。

(社)全日本空道連盟 総合武道 大道塾 御茶ノ水支部

主将のコラム

コラム ~#31 › コラム #30~#1

column#10

続・稽古内容について考える

基本や移動に拘りすぎもせず、軽視もせず。

 前回のコラムで書いた通り「毎回、基本や移動をやる」ということに拘った結果、他の稽古に不足が生じるのはよくないと思う。
 一方で、基本稽古や移動稽古を役に立たないもののように捉え、代わりにジョギングしたり、“最先端らしき”トレーニングに取り組んでいるのもおかしな話だと思う。
 基本や移動を避ける人の多くは、基本や移動で行うことが組手で使う技のフォームと異なることを指摘する。
「基本ではその場でパンチを打つけど、実際の闘いではステップを伴なってパンチの攻防をするわけだし。実際には前屈立ちになんてならないし、いろんな技を左右やるより、自分が使う技だけシャドーで磨けばいいし」というわけだ。
 しかし、そんなことを言うなら、ジョギングだって、ピラー(スタビライゼーション)トレーニングだって、バランスボールに乗ることだって、なにもかも、試合で行う動作とは違うではないか? 「実際の闘いと同じ動きを磨いた方がいい」という論理でいえば、試合形式のスパーだけを繰り返していれば、もっともスキルが上がるということになるはずなのに、なぜ、彼らは、そういったメニューには取り組むのだろうか。
 彼らは言うだろう。全習と分習なのだと。あるトレーニングは、体幹の固定力を高めることに特化したメニューで、あるトレーニングは神経と筋の協調性を高めることに特化したメニューで、あるトレーニングは・・・・・・・・・で、それらのディビジョンの高まりをもって、インテグレーションとしてスパーを行うのだと。
 その理屈は間違っていないと思うが、では、なぜ、基本や移動を、その分習の一角として捉えることが出来ないのだろうか?

 こんなことがあった。
 あるフィジカルトレーニング指導資格の講習会に通っていたとき、講師が「空手やテコンドーをやっている人がいたら、ぜひ移動稽古といわれるものを学びましょう。それは、アスリートにとって、素晴らしいトレーニングになります」と言ったのだ。
 このとき、なんともマヌケな気がした。
 こっちは、伝統的な稽古よりもっと科学的な方法を探るべく、毎週末を割いて、最先端といわれるフィジカルトレーニングの講座に通うことにした身だ。その“最先端”が推薦したのが移動稽古とは・・・。灯台なんとか。

 そこで気づいたのは、移動稽古とは、股関節を中心としたダイナミック・ストレッチとバランストレーニングを兼ね、その動きが左右対称にできることを要求されるコーディネーショントレーニングだということだ。「そこで行っているフォームのまま組手で使うわけではなく、あくまで身体の使い方を磨くための分習なのだ」と割り切ればいいものを、組手で用いる技のフォームとの違いに囚われていたことの愚かさを思い知らされた。
 同じように考えれば、基本稽古とは、あえて移動せず、その場でパンチを放つことによって、体の回転を意識することにフォーカスした分習メニューといえる。
 そもそも、その場ジャンプを挟みながら基本稽古を行うことは、ジョグと中強度のダッシュを繰り返すインターバル・トレーニングを15分~20分掛けて行っているのと同レベルの全身持久力トレーニングとしての負荷があるわけで、「基本はやらないけど、ウォームアップのために外を20分間、ジョギングしてきます」と言う人がいたら「わざわざ着替えなくても、基本稽古やってりゃ同等の効果が得られるじゃねぇか」とツッコみたくもなる。
 結局のところ、無駄な練習など、ない。
 プールで泳ごうと、2時間ジョギングしようと、木刀を振ろうと、バッティングセンターでホームランを狙おうと、なんらかの効果はある。
 ただ、プライオリティーをどう考えるか? そのデザインが問題なのだ。

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