ジャケットMMA≒柔道+空手 KARATE+JUDO≒KUDO 御茶ノ水(淡路町・小川町)にある総合格闘技道場。

(社)全日本空道連盟 総合武道 大道塾 御茶ノ水支部

主将のコラム

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column#2

続・空道とはなにか?

[独特の階級制がもたらすもの]

 空道のトーナメント大会は、階級別と無差別の2種類で行なわれる。
 が、階級別の大会での階級の分け方が、他の格闘技とは異なる。
 通常の格闘技では体重によって階級を分けるが、空道では“身長のセンチ数と体重のキロ数を足した数”(身体指数と呼ぶ)によって、分類するのだ。-230級、-240級…というように。
 体重によってカテゴリーを分けている競技の場合、良い成績を残そうと思えば、なるべく軽い階級で試合をするのが近道だ。そのため、激しい減量を行なうことが必須となる。
 しかし、これは、武道的見地からみれば“自分を弱くする行為”に他ならない。“強さ”を求めて格闘技に取り組みはじめた者は、そこに矛盾を感じるだろう。ギスギスに痩せた自分と、筋肉を蓄えた自分が、同じ技術を持っていたなら、明らかに後者の方が強いのだろうから。
 それに対し、身長は変えようのないものである。階級分けを行なう理由が“先天的な体格の違いによる不公平をなくすため”なら、後天的に変化させようのある体重より、身長によってカテゴライズする方が理に適っているといえよう。
 かといって、身長だけで階級を分けたら、勝つためには、不健康なほど体重を増やすことが最善となってしまうかもしれない。
 階級を分ける要素の50㌫として“身長”を加えている空道の大会では、背の高い者は、いくら減量しても、それなりに“体の大きい人間のカテゴリー”に入ってしまう。「その身長に見合った最強の自分を創りなさい」と諭されているかのように。つまり、過度の減量防止に繋がるのだ。  そういった階級制大会があってこそ、細身でなくガッチリ型の人材が多く、無差別の大会でも、打ち合いうる小兵選手が生まれる。
 顔面突きフルコンタクトOKのアマチュア格闘競技で、無差別大会を行なえるのは、そういった配慮と、顔面防具着用ルールがあってこそなのだ。

[試合時間の長さと闘いの質]

 空道における1試合の試合時間は基本的に3分間である。プロの格闘競技が大抵15分から30分くらいのトータル試合時間であることを考えると、非常に短い。
 試合時間が長いほど、選手はスタミナに配慮せねばならない。結果、勢い任せでない、テクニカルで美しい攻防が展開される。だからこそ"みせる格闘技"としては複数ラウンド制が最適なのだ。
 ところが、実際に起こりうる格闘がどんなものかといえば…。大抵は、一方が(もしくは双方が)、勢い任せにならざるを得ないような精神状態だからこそ、起きるものである。そして、そういった闘いは、現代社会において、数十分と放置されるものではない。
 荒々しく殴り、掴み掛かってくる相手に対し、3分間でケリをつけねばならぬ空道の試合展開は、そういった状況により近いといえよう。  

[掴みが生み出す芸術]

 寝技中心の組み技格闘技として、道着を着て行なう“ブラジリアン柔術”と、裸で行なう“サブミッション・レスリング”が存在する。この二つ、道着を着るかどうか以外は、ほとんど同様の試合形式なのだが、展開される技のバリエーションは、ブラジリアン柔術の方が、圧倒的に多い。
 なぜか?
 柔術の場合、相手の体に“道着という取っ手”が付いているため、いろんなコントロールの仕方が出来るからだ。
 一方、ボクシングやレスリングなど、技術を限定した競技より、裸体総合格闘技の方が、多くの展開を持つことはいうまでもない。
 と、すると…。
 そう。着衣で、しかも総合格闘技で、おまけに頭突きや金的蹴りまで認められた空道は、まさしくもっとも多彩な展開を生みうる格闘技なのだ。従って、選手個々の創意工夫によって、無限の妙技が生まれる競技。やることが多い分、飽きが来ず、生涯の友とすることが出来る。
 100メートル走やボクシングなど、シンプルな競技は、そのシンプルな動作を研ぎ澄ます繊細さに魅力があり、生まれ持ってのポテンシャルを問われる世界。その闘いは気高い。
 片や、デカスロンや空道のような“やることの多い競技”にも、真逆の魅力がある。学習量に応じて強さが増していく世界…つまり、資質によらず、長い競技歴を持った時こそ(例えその時フィジカル面が多少衰えていたとしても)、成績を残せるのだ。

[フロンティアのやりがい]

 ここまで述べてきた通り、空道には限りない魅力がある。では、その競技レベルはいかほどかといえば、30年の歴史を経て、選手層が厚みを増してきたいえ、柔道・ボクシングをはじめとする100年単位の積み重ねを持つ競技には及ぶまい。
 しかし、競技レベルを比較して、その頂点に立つことの価値を値踏みすることほど浅薄なことはない。
 どんな競技だって、スタートしたときから選手層が厚いはずはなく、黎明期に、競技の面白さに魅かれて人生を賭けた偉大な先駆者がいたからこそ、後の発展がある。黎明期の柔道家達も、そのような存在だったろうし、後には、その柔道からの転向者によって、日本レスリング界の礎が築かれたのだ。
 完成された厚い選手層の競技を制することはもちろん素晴らしいし、新興競技に励むフロンティア・スピリットも、美しい。要はその競技の本質にやりがいを感じて取り組む者は、皆、尊いのだ。
 過激なエンターテインメント格闘技のブームを経て、時代はやがて武道のアティティードを求めるだろう。らせん階段を一周昇るように、原点回帰の時が近づいている。
 今こそ、空道のフロンティアに加わるべし。
 我々と一緒に、明日を築こう。

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