練習量の自慢をしよう。
月曜の夜、金曜の朝、土曜の午後は早大で指導。火・水・木曜の夜は水道橋の指導。金曜の夜は空道以外の競技(おもにブラジリアン柔術)。火・水・木の朝に、一人練習(フィジカルトレーニングか、サンドバッグ打ち&シャドー)。つまり、朝が週4で、夜(午後)が週6。子どもを幼稚園に送って、真面目にサラリーマンこなしたうえで、試合に出るわけでもないのに、この量だぞ。どうだ? 頑張ってんだろ。
昔は恥ずかしいことだと思っていた。
「オレ、これだけやってんだ。スゴいだろ。オレがこれだけやってるんだから、お前もやれ!」なんてさ。大切なのは量より質だし。人によって、考えも、環境も、心身の性質も違うんだから※、求めるなんて意味ないし。それに“練習してない風”で勝った方が、カッコいいってな。逆にいえば、鼻息荒く必死こいて練習したあげくに負けたら、みっともないけど“練習してない風”で負けても「オレ、そんなにマジでやってなかったから…」って言い訳できるからな。
でも、今は結果でなく「頑張ってること」自体を、誇りに思うよ。
昔は、反主流でニヒルな方……、アカレンジャーよりミドレンジャー、大鷲の健よりコンドルのジョー、ルーク・スカイウォーカーよりハン・ソロの方が、カッコよく思えたけどな。子を持った頃からか、斜に構えるってのは逃げてるよな、って意識に変わってきた。子供には、クールな姿より、汗やら鼻水やら垂れ流しながらもがいてる姿の方が、よっぽど見せてやりたいってな。
結果はどう出ようと、それを恐れずに、何か好きなことに精一杯、全力を注いでみる。そのこと自体が、自分に対しても、他人に対しても、もっとも誇れることなんじゃないかな。
謙遜なんていらない。みんな、胸を張って、頑張っていることを誇ろう。
ま、仕事関係での飲み会やら健康診断での問診やらで「何かスポーツされてますか?」「はい。格闘技を」「格闘技! 凄いですね。今も毎週?」「あ、まぁ」「偉い! 週2 回とか?」「あ、週6です」「……(コイツいい歳して何やってんだよ)」みたいな流れのときも、不動心でね。てへ。
※ちょっと教わるだけですぐに技の形が正しくできてしまうセンスのいい(巧緻性の高い)人っているよな。主将はどっちかというと、そういうセンスのない方で、だからこそ、周囲より何倍も技の反復を積んで、ようやく人並みの技術を得たタイプなんだよな。でも、実は、世の中等なもので、すぐに出来る人って、出来てしまうからこそ、反復を積むモチベーションが下がりがちで、技を練り上げにくいんだよな。それに対し、主将のようなヘタな人は、なかなか上手くできないからこそ、向上へのモチベーションを維持しやすく、結果、量をこなすことが出来るわけで。巧緻性の高さを才能だとすれば、モチベーションを維持できることも才能。誰にだって、何かしら、才能ってあるもんなんだよな。