ジャケットMMA≒柔道+空手 KARATE+JUDO≒KUDO 御茶ノ水(淡路町・小川町)にある総合格闘技道場。

(社)全日本空道連盟 総合武道 大道塾 御茶ノ水支部

主将のコラム

コラム ~#31 › コラム #30~#1

column#6

続・「基本稽古」とか「型」について考える

なぜ「型どおり」のままではいけないのか?

 試合を行わず“型稽古”のみを行う武道の多くは、50年前、100年前から、継承される型のフォームを変化させることがない。
 そういった武道においては伝統・様式を重んじることこそが美徳なのだろうが、誕生して僅か30数年、さまざまな技術の発見の途上にある空道においては、伝統に縛られることがあるべきではない。
 型を重んじる一方で、その型を少しずつ変化させていくことが肝要。むしろ、10年間なにも型に改訂事項がなかったとしたら、進歩していないということだろう。

 勤続30年の理容師さんだって、流行の変化に対応するために定期的に勉強会に参加するというのに、スポーツ・武道の世界では、新しいことを学ばない指導者が多い。おまけに、自分の伝えてきたことの間違いに気づいても「昔と言っていることが違う」と指摘されることを恐れ、指導内容を変えず、無理やり整合性を持たせたりしがち。
 それに対して、東塾長なんかは“学び”をやめない人だよな。最近改定された「基本・移動稽古」「投げ・寝技の基本」の実演解説をみても、明らかに“昔はなかった考え方”が盛り込まれていた。
 主将も、日々、他の武道・格闘技を学んだり、技の研究を重ねている。「学ぶことをやめたとき、指導する資格を失う」という。「水道橋の基本」も、何か「確実によい」と思える発見がある度に、細かい部分を変えていくよ。急激に全面的に何かを変えたりすると、消化不良を起こすから、あくまで、少しずつの話だけど。

 主将自身、経験があるけれど「型を変えちゃいけない」「古い型どおりにやらなきゃいけない」っていう武道は、血気盛んな若い人間には、なかなか続け辛いんだよな。「型自体が進化していく」かつ「型に縛られず、個々がオリジナルの技を模索してよい」という柔軟性があってこそ、取り組む人がモチベーションを高く維持できる。
 型にいかに忠実か? ということだけが評価される世界では、ナジーム・ハメドや、マンソン・ギブソン、大月晴明、佐藤ルミナ、須藤元気といったタレントの活躍は当然なかったわけで。今も型武道の世界には、“実際の闘い”をすれば強さを発揮できるはずの人材が燻ったままでいるのではないか?
 それに「型どおりにやらなきゃいけない」と決めてしまったら、「水道橋の連中はああ攻めたら必ずこう返してくるぞ」と試合でカモにされるマヌケ現象が起きかねないからな(笑)。

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