どのように「型」はつくられるべきか?
水道橋道場の稽古では、だいたい毎回、対人練習で「基本的な攻撃技のフォーム確認」「基本的な防御&反撃のフォーム確認」を行っているけど、これらのメニューの内容は、どのようにして制定したものかというと…。
稽古では、時折り「こういう理由だから、こうする」といった理屈を説明する。だが、そのように説明するのは、大人は理屈を説明せずに“やれ”と言っても納得しない、逆に理屈で納得のいくことは意欲的に取り組む※・・・といった特性があるからで、実際のところ、理屈に則ってメニューを制定したわけではない。理屈は、あくまで“後付”で整合性を持たせたものに過ぎない。
ではどうやって「この攻撃には、このディフェンスをして、こう返す」といった基本を定めたかといえば“過去の試合からデータを取って”である。
自分の行っている競技の試合を何百試合も、生で、DVDで、表に数字を入れながら観戦し、オフェンスにおいてどんな技がどれくらいの比率で出現しているか、それらの技に対してどのような対応が、どのような比率で行われているか、それぞれの攻撃やディフェンスがどれくらい効果を及ぼしたか、あるいは失敗したか、そういったことを分析して、現実として多く行われ、かつ成功している方法を基本として採用しているわけだ。まぁ、主将自身の経験から得た確信や、他の総合格闘技の試合での分析も、加味してメニューを決めてはいるが。
データは「ミット打ちではミドルキックを基本としているけど、実際、試合ではハイキックやローキックより効果を発揮しているだろうか?」「ジャブから始まって4連打以上するパンチのコンビネーションはどれくらい成功しているのか?」「実際、ミドルキックをヒザ(スネ)ブロックした事例って、どれくらいの率であるのか?」といった疑問に明確な答えを出してくれる。
むろん、過去のデータから方法を割り出すことを続けていると“リスクは減らせる代わりに新しいものは何も生まれない”という現象に陥るので、常に新たな技術を模索する必要はある。ただ、それは“型”に当てはめるべき部分ではないだろう。型が初心者向け、あるいは“万人に最大公約数的”なものであるためには、理想や推測からでなく、起こった現実から見出される「現象の後追い」であることが相応しい。
また、試合に勝つための戦略研究のためにも、こういったデータの集計を行うアナリストが、各チームにいるべきかとは思う。
※子供は逆に、理屈を聞かされても興味を持たず、すぐに飽きてしまう。子供は理屈でなく感性で物事に興味を持つので、子供を指導する場合は、説明を長くはせず、動きをマネさせる。一方、子供と大人の間にある中・高・大学生の時期は、人生上もっとも「単調な反復練習に耐えられる時期=根性&青春の季節!」なので徹底的に量をこなさせる。このように、指導の方法は、一定でなく、対象によって変化させる。